そのトラブルで、自分が代役に立ったときの事。
Ruiのピアノの事。
エリーゼのせいで、予定が1ヶ月も延びた事。
……話してやりたいことがいっぱいあった。
なれない生活の中にのだめを置き去りにしていったことが、この4ヶ月の間ずっと気がかりだった。
のだめはあんな調子だから、ここのアパートの住人たちとも仲良くやっていけるだろうが、自分と離れ暮らすことを淋しく思うだろう、と思っていた。
自室の鍵を渡しておいたのは、ここにいることで少しでも淋しさがまぎれれば、と思ったからだ。
そう思い込んでいた。
そうであるのだと自惚れていた。
なのに。
階段を上がり、のだめの部屋の前で思わず足を止める。
もう寝ただろうか。
それともまだ……
ドアの向こうは静寂で、なんの物音も聞こえない。
ドアをノックしようとしたけれどどうしてもそうできずに、千秋は伸ばした手を下ろした。
■4
2本目のワインを飲み干した後で、千秋は怠惰にベッドを軋ませた。
ツアーから帰ってきて、荷ほどきもしていない。洗濯物も、たまっているのに……。
だけれども何もしたくない。今は、ただ何もしたくない。
煙草に火をつけて、深く、ゆっくりと煙を吐き出す。
煙草の燃えるチリチリという音が、静かな部屋にやけに響く。
ふと、自分の乾いた唇にそっと指で触れた。
数時間前の、あの柔らかな感触を思い出す。
知っているようなつもりでいたけれど、まだ自分の知らないのだめの部分。
舌をそっと差し入れたとき、一瞬体を強ばらせた。
……そんなのだめを愛しいと思った。
愛しい?
愛しいだって?
そんな馬鹿な!!
のだめにキスしたのは……
━━━━ピアノを弾き続けようとするのだめを制止するため?━━━━今までのようにただうっかり?
いや、違う。
ずっと気づいてた。
気づいていたけれど……ただ今まで、認めたくなかっただけだ。
「馬鹿は俺か……」
■5
うとうとしたまま熟睡できず、明け方早くにベッドを抜け出した。
熱いシャワーを浴び、スーツケースから洗濯物を取り出し洗濯機にかける。
窓の外では町の人々がそれぞれに挨拶を交わし、どこからか鳥がやってきては囀りはじめる。
濃く入れたコーヒーをすすり、煙草に火をつけた。
ふと、目に入った楽譜を棚から取り出す。眠りの森の美女のパヴァーヌ。
ピアノの前に座り、一音一音、確かめるようにすくい上げていく。
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